戸惑いと高揚のはざまで

好きなものを好きな時に好きといいたい

関ジャニのライブDVDを見るのがこわい話

 昨日、ブログを書いた。関ジャニのライブDVDを見るのがどうしてもこわいという内容だ。本当は昨夜見ようと思ったのだけどやっぱりDVDを見ることはできなかった。

umaiaji.hatenablog.com

 

 なにをそんなに不安に思うことがあるのだ。言ってしまえばたかだかライブDVDを、しかも10年も前のものを見るだけなのに。いまの彼らと昔の彼らはぜんぜん違うだろう。考え方やいろんなことが変わっているだろう。わかっている。なのになんで。考えてみて心当たりがひとつみつかった。それはわたしの原点であり青春でもあるミュージカルテニスの王子様だ。

 テニミュ、知っている人は多いだろう。斎藤工城田優、今加藤シゲアキ先生のドラマに出ている桐山漣。わたしがずっとずっと好きだった人たちだ。若手俳優の登竜門と言われ、無名のイケメン俳優が出演し、何度も何度も同じ公演を見に行くために劇場に通う。漫画のミュージカル化、舞台化ブームの発端となった舞台だ。中学生の頃にその存在を知って、DVDをのめり込むように見て、バイトができるようになってから初めて舞台を見に行った。その感動たるや衝撃的で、わたしはその世界にのめり込んでいった。舞台はなまもの。金銭的な事情や家庭の事情で決して足を運んだ公演数やイベントは多い方ではなかった。すごく、後悔している。なんであの頃もっといっていなかったんだろう。これがデビュー作という子も多く、まだ成長途中の彼らの演技は初演と凱旋公演でこれでもかというくらいに違う。その変化を生で感じた時の感動はすごかった。鳥肌がたった。

 公演が終わる。役者たちのブログを巡回し、友達と公演や役者について話し、余韻に浸って終わりを嘆いてるうちにDVDが出る。公演中はDVDに確実に入らない自分の好きな子ばかり見ていたため、改めて舞台全体を見て、完成度の高さに感動して、バクステで楽しそうにする彼らにまた新たな愛しさを見つけ出して、心が躍って、次のチケット発売がくる。そのサイクルを何回か繰り返した。でも実際に現場にいけるようになった時期が遅かったので、終わりはすぐに来てしまった。ストーリーは漫画のテニスの王子様になぞられている。つまり、最終回までやってしまったらそこで終わってしまうのだ。その頃の喪失感は半端じゃなくて、足繁く現場に通えなかったことをひたすら後悔したし、非力さを呪った。またしばらく時間が経って、2ndシーズンの開催が決まったが手が出せなかった。あの悔しさともどかしさと喪失感を感じるのが嫌だったから。あの頃、とても苦しかった。悔しかった。辛かった。それでも、すごく、楽しかった。ファンサをもらった時の感動はいまでも忘れられないし、テニミュを通じてたくさんの友達ができて、いまも仲良くさせてもらっている。きらきらと輝く彼らに置いて行かれないようにしがみついて、できる精一杯で後を追って、あの頃わたしは最高に生きていた。でも、つらかった。だから離れることを選んだ。だから、ジャニーズはハマりたくなかった。生きている人間にはまってしまうと置いて行かれてしまうから。すべてを追うことなんてできないから。限界があってそれが見えてしまうから。

 

 でも、関ジャニ∞に出会ってしまった。

現場で輝く彼らを見てしまったら、どれだけつらいのだろうか。いまのわたしにとって関ジャニ∞とは存在するかどうかも定かじゃない。現実味がない。雑誌を買って、CDを買って、テレビで楽しそうにする彼らを見ているけれど、それが本当にこの世界で起こっていることなのか定かじゃないのだ。コンサートで輝く彼らはそれはそれは美しいだろう。素敵だろう、かっこいいだろう。そこへ行けないとわかってしまったときどれほどつらいのだろう。だから生きている人間にはハマりたくなかったんだ。そう気づいたところで後の祭りである。こんなにも村上信五が、関ジャニ∞が大好きだ。

 

 しめっぽいことを悲劇的につらつら書き上げてしまったけれど、なにがそんなにこわかったのかわかったら気持ちが軽くなって覚悟が決まった気がする。今夜こそビールとつまみ片手に関ジャニのDVDを見よう。若くてきらきらしている成長前の彼らに会いに行こう。その時に居合わせられなかったことを死ぬほど後悔して苦しく思うだろうけど、それでももう後戻りはできないから。

 

 

 すっごい余談だけど、若手俳優絡みで特撮もたしなんでいたので今回菅田将暉くんと桐山漣くんが作品こそ違えど同じ加藤シゲアキ先生の作品に出ているのをすごく喜ばしく思う。偶然にしてはできすぎてると思う。Wみを感じてとってもとっても幸せな気持ちになった。この世界の不思議な巡り合わせにありがとう〜〜!!!うれしい〜〜〜〜!!神様ありがとう〜〜〜!!